3/1-3/3東京国際文芸フェスティバル
参加した幾つかについて考えたこと、語られたことをメモ。
http://tokyolitfest.com/
各日1セッション参加したけれど、どこにおいても3.11と電子書籍は話題に上った。
初日 3/1 19:00~ 六本木アカデミーカレッジ
「Keynote Readings」
朗読を聞いたのは初めてだったけど、谷川俊太郎さんの朗読はよかった。
クッツェーさんの新作も。
『イエスの幼子時代』
→不条理さ。カフカ『城』、カズオ・イシグロ『充たされざる者』を思い起こさせた。
谷川俊太郎さんの言葉は、世界とわたしを対比する。
世界を大きくする、もしくはわたしを小さくし、事物・事象を羅列することで生まれる対比。
「都市・物語・再生」
川上未映子さんは『水瓶』から一部を朗読。
動詞または名詞を固定し、固定しなかったほうでは一見統一感のない言葉を羅列して、
物語を浮かび上がらせる手法が独特。好き。
フォアさんの『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』
9.11で父を失った少年の話。映画化もされた作品。
川上未映子さんの震災についての苦悩が印象的。
文学が果たす役割。記録?緩衝材?手引き?癒し?それらすべて?
まだ2年しか経っていない中で、
忘れようと忘れてはいけないの間で引き裂かれるような感覚を持ちながら、
記憶力と想像力を駆使して、
それでも平然とした顔で毎日を送らなければならない。
今は、3.11を知った上での、3.10的世界なのだ。
(言葉は不正確、内容はおおよそです。ごめんなさい。)
「無用なものが誰かにとって有用になり得る」
文学それ自体は誰かの役に立つことを目指したものではない。
それでも誰かの役に立ったりする。
2日目 3/2 11:00~ ゲンロンカフェ
「ヒトとブンカが出会う場所」
幅さんの考え方に共感。
amazonが登場して、人が本に近寄らなくなった。 →本を人のところにもってゆく。
「本を読まないひとに1ページ読んでもらう取り組み」
ex:パークライブラリ。
芝生の広場で、かごに本を数冊とレジャーシートを入れて貸し出す。
「伝えたいモチベーションは伝わらないストレスから」
Chris Gribbleさん 本の形成するネットワーク
古くは、紙の本が貴重だった時代の貸し借りから、
同じ本を読んだという読書体験の共有、
そして現代の電子書籍によるリアルタイムの意見交換。
3日目 3/3 13:00~早稲田大学 井深大記念ホール
「これからの本の話をしよう」
紙の本にあって、電子書籍にないもの
→装丁、印刷物という制約、物質・存在感
紙の本は元から形が先にあった。(印刷物という制約)
一方で電子書籍は紙の本の用に足りるものを0から作ったもの。
→大元の前提が大きく異なる。
「想像力の中のTokyo」
東京の見えない底流。
書けば書くほど逃げる現実性。
ジュノ・ディアスさんの言葉。作品の完成について。
著者の経験などを作品にするが、そこで完成ではなく、
読者それぞれがもつ経験や記憶が最後の1ピース。
東京
→幻想
→第2の故郷(地方出身者)
→日常生活からでは見えない出自
→仮面の街
→都市設計→人よりシステムが先に生まれる。
(人を想定してシステムを作る→人がやってくる)
→再構築(関東大震災や東京大空襲で更地から)
→いちど更地になった街
→守るものがない、背負うものがない。
→SimCityチック。SFチック。
→交換可能(人もモノもシステムも)
→やり直しの街
→陳腐な表現で恐縮だが、
ここには何もかもがあって何もかもがない。どこまでも脆い、危うい。
人々は点の集合でしか無く、それぞれが孤立している。
線や面は存在しない、0次元の多重構造。
03/04 一部修正。